プロジェクト通信
イナゴやバッタなどの害虫を多く見かけるようになりました。
こんにちはコメづくりスタッフの廣田です。
台風9号が去っていきました。大きな暴風域を持たない雨台風、各地で大きなつめ跡を残して行ったようです。
直島では被害はありませんでしたが、先日中干しを始めたばかりの我々の田んぼはまた振り出しに戻ったようです。

これから水が引いて、地中のガスが抜けるまでほんの少し雨が降らなければと勝手な事を思います。

さて、近頃の積浦田園はと言いますと、イナゴやショウリョウバッタの姿をよく見かけるようになりました。田んぼや畦は生産の場であると同時に数多くの生き物のえさ場、生産の場、生息の場であるとあらためて思います。子供の頃からよく一緒に遊んだ顔ぶれがたいへんなつかしく、気がつけばバッタを追いかけている私ですが、それと同時にコメをつくる上では稲の葉を食べてしまう立派な害虫であるという事もあり、複雑な心境です。
人は湿地を田んぼにした時から、それを繁殖や餌場にしようと、田んぼの環境に合わせた暮らし方を身につけて来ました。
その昔、農作物を脅かすものに、水害や干害と並んで害虫の被害がありました。
毎年7月の上旬頃、日本各地では雨上がりの夜に虫送りという行事が行われたようです。農作物やお酒を持参し、その年の豊作を願いながら火をおこし、お酒を酌み交わした。当時娯楽の少なかった村人たちにとって、虫送りは害虫退治の行事であると同時に、小さなお祭りでもあったようです。まだ明かりの無かった時代、はるか彼方からも見え、さながら狐の嫁入りのような幻想的な光景だったととある文献で知りました。

強力な農薬が出回ったため近年では害虫は一掃され、同時に稲虫送りもしだいにすたれて行ってしまったようですが、稲の生長を見ながら、季節の歴史を知るにつれ、古人はさながら自分の生活を守るため、防除にあたったわけではないのだなと考えさせられました。
自身の生活の妨げになるものと空間を異にすることによって、災難を避ける工夫をはかり、棲み分け共生するという事。
朝露の中、羽がぬれて跳べなくなったイナゴとバッタを虫かごいっぱいにつかまえて田んぼから遠くはなれたところに逃がしました。 これは個人的な実験なのですが、なんとかこの棲み分け共生が上手く行けばいいのになぁー。と思った夏の日でした。
それではまた。

